青のフラッグを読み直して思うこと

漫画を読むのが大人になってから好きになった。

 

また読むようになったのは5年くらい前かな、電子書籍アプリを使い始めたのをきっかけに、嵩張らないので読むようになって、当時の恋人が漫画好きな人だったので、おすすめを色々教えてもらって読むようになり、少女漫画とは全く異なる世界観に魅了されて今に至る

思えば、ディズニーアニメもそうだけど、少女漫画というのは明確にヒロインが決まっていて、あとはとにかくヒロインを引き立てるために生きている、という感じ。まるで出生した時から、主役なのか脇役なのか、幸せになるのかならないのか決まっていて、選ばれたり選ばれなかったりする、という感じ

(そして未だに何度考えても思うんだけど、なんでそんな貧しい物語を子どもにわざわざ与えるんだろう?)

本題に戻って、青のフラッグを久しぶりに読み返してみた。

 

一見、少女漫画?青春漫画?あるいはBL?という印象から始まるのだが、一人一人にきちんと輪郭があって(最近の素敵な漫画は一人一人をきちんと描いているものが一般的でよい)、何より、言葉にして考え方の違いをきちんと議論するところが好き

最終巻の後書きで、作者が「なんでちゃんと話し合わないんだ」という青春ものが多くてヤキモキするから、ちゃんと(登場人物たちに)会話させたかった、というようなことを書いていて、なるほどと思った

日常でもそうなのだけど、大きなすれ違いや喧嘩や疎遠になるきっかけって、当然っちゃ当然なのだけど圧倒的に会話が不足していて、「言わなくなってそんなことわかるでしょ」という甘えが招くことが多いなあ、と思う

 

私の中で、この作品の中の大きなテーマは、どこに向かっていけばいいんでしょう?(「幸せ」になれるんでしょ?)ということだと思っていて、高校生の時、倫理の授業で幸福論が出てきたときのハッとした感じを思い出した。つまり、これからの人生に役に立つとも思えないことを丸暗記させられる違和感から、「幸せとは何か?」というふんわりずっと疑問に思っていたことを延々と考えてきた人たちの理論を聞いて、自分がどう思うかを問われる、という、これまで学校では起きえなかったことが唐突に起きたことへの、感動。

 

で、もうじき34歳の今、今日私が思う幸せとは、人生が終わるときに、

自分がいかに関わる人に対して幸せポイントをあげられたか

にかかっているな、と思います。

みんなに幸せポイント1000っていうトーマの発想って、一見めちゃくちゃ綺麗ごとで子供っぽく見えるけど、一周して真理じゃないかと思う

 

選ばれるように何かをするという発想から、自分がほのかに幸せをあげられたり、大切な人が困った時に連絡をできるように大切に思っていることを伝えるようにしたり、毎日会えたとしても一緒にいられる感謝を言葉にしたりすることに幸せを感じられるようになるだけで、健全に貪欲に幸せを追求できるかもなあ、と思ったお正月でした