孤独と幸せと未知の人とピアス
人生は孤独とのお付き合いだなあ、と思うことがよくある
だからこそ、大事に思える人と出会った時に、年々大切にできるのかもな、と思ったりもします
思うに、結婚の有無や、収入や、お仕事での生きがいみたいなものもまあ関係なくはないだろうけど、それぞれ瞬発的なもので、原則として根底にある孤独感みたいなものは誰しもが少なからず抱えているものだろうなと
自分が持っていないものを手に入れたら、なんとなくそれが解消されるのではないか?と思うことはあるのだけど、過度に期待するのは違うかな、という思いもあり、当然のことながら、自分の妄想ベースで「手に入れたら幸せになれそうなもの」を持っているかどうかで他人の幸せ度を評価するのもおかしいのだろうな、と
私がいいな、と思うのは、うまくいってるとき、うまくいかないとき、一緒に悩んでくれて、一緒に悩んであげられて、都合がいいとか楽しいだけじゃなく、互いに思いやれる相手と、ちょうどよく時間を共有できたら、と
そのためには、相手に何かあったときに力になれるだけしっかりせねば、と
数少ない大切な人を(家族でも、恋人でも、友人でも)少しでも幸せな気持ちにさせられるだけの気遣い、それで解決できる場合に備えてお金と知恵、盲目的にならないための視野、自分のご機嫌とり、そんな意味合いで、大切な人と対等に人生を楽しめるようになったら一番素敵だなと思います
いろんなことが上手くいかない時、悪い癖で、うっかり周囲がしてくれることに依存しちゃうことがあるのだが(私がxxだから○○してもらえないんだ、みたいな。わかりやすく言うと)、大体根本の問題はそこにはなくて、自分に自身がなくなったり、何かしら傷ついた原因は他にあることが多い
よく、「しない後悔よりした後悔」的な言葉があると思うんだけど、おしゃべりで議論好きな私にとっては、「言った後悔より言わなかった後悔」って思っていた方が、不用意に、なんなら最悪の場合(というか大概にして)人を傷つけたりしなくて良いだろうと思っている
今日は動物園に行ったんですが、ディズニーランドとか動物園とか牧場とかアウトレットとか、誰でも結構好きな場所ってあるじゃないですか(ですかって)
そういうところって、当たり前なんですが、本当にいろんな人たちが集まってきて、普段みたいに、同じような仕事時間を過ごしていたり、なんとなく似た美学を持っているわけではない、ほんっとうにいろんな人を必然的に見ることになると思うのです
私は想像力が非常に豊かなタイプなので、ズーラシアで、見つけづらい動物展示の場所にカラスが大量にいるのを見ると、(小さな男の子が、「(このコーナーは)カラス〜?」と言ってお母さんが失笑していた、私も同じこと思った)カラスになったらここに来たらいいだろうか・・・・と思ったり、駅で眠っている人を見ると、住む場所がなくなって、働いて立て直すことも難しくなったらどこの駅で寝るのがベストだろうか、とか考えたりしてしまう
それで、今日は、お子さま連れの若いご夫婦がとても多くて
二人のお子さんと旦那さんといた女性をふと見て(たぶん年下だと思うんだけど)、この人にとっての日常とか当たり前ってどんな時間なんだろうかと妄想したのです
今ふと入れ替わって、しれっと彼女のお家に帰ったら、何を思うんだろうと
きっと慣れないことばかりでうわあ、と思いつつ(そして基本的に人は自分を肯定したくなるものなので、これなら孤独の方がいいわあ、とか思ったりして)あ〜でもこの感覚はなかった、とかあら♡ってこともあるんだろうな、と。でもその関心が出る時点であまりに未知な、環境が違う人に思っているので、おそらく一番は全てが目から鱗なんだろうと
自覚している以上に、自分自身の価値観というのはこれまでの偏見コレクションなのだろうなと思うのです
久しぶりに、がっと気持ちが落ち込んでいた週だったんだけど
少なくとも傷つけたくない、笑顔でいて欲しい相手の顔がすぐに思い浮かぶうちは、その人と笑顔ですごせる方法を考えたいなと思ったりしたのでした
たまに行く、素敵なオーナーさんのお店でセールをやっているよ!と飲み友達とふわっとバーから出かけていって購入した(セール対象ではなかった)ピアス(左)
かわいい。
色味は派手じゃないんだけど、ポイントになるピアスとても好き
登場頻度はベーシックなものに比べて低くても、今日は絶対これっていう日があるとものすごくしっくり来て一日ハッピーに過ごすことができます
一瞬であっても、自分の機嫌を取る方法を持っておくのって大事だよね
そして、私の大切な人や緩やかな友人たちは、その一瞬を全力でサポートしてくれる人が多くて素敵だなと思います